Profile
幼少期
1975年(昭和50年)4月28日、香川県丸亀市内の病院で生まれる。宇多津町育ち。
いたずら好きでマイペースな子供だったが、虐待を受けていたためか、保育園にも行きたがらず、この頃から登校拒否をしており、人と関わるのが苦手な子供であった。そのため、保育園の先生方をよく困らせていた。
小学校時代
低学年の頃は、母からの虐待がひどく、家庭環境が良くなかったせいか、いたずらが激しくなり、担任の先生から時々ひっぱたかれていた。嘘もよくつき、近所の子供や妹をいじめて泣かせていた。
2〜3年生くらいに家を建て替え、祖父と同居するようになってから、両親からの虐待が無くなり、精神的に安定したためか、徐々に近所のお友達とも遊ぶようになり、のびのびと過ごしていた。
ただ、話もあまりしたことがない友達と遊ぶことはなく、遊ぶ友達はいつも同じ人たちだった。
3〜4年生の頃、父が後縦靱帯骨化症という難病になり、まだ治療法がなかったため、被験者として日本で初めての後縦靱帯骨化症の手術患者となる。だが、もともと怠け者な父はこれをきっかけに、あまりマジメに働かなくなり、のちに聞いた話だが、事業にも失敗したため、多額の借金を背負っていて、銀行からの取り立てが厳しくなり、いつもお金がなく、貧乏だった。銀行員は、子供しかいないとわかればすぐに帰ってくれるから、といつも私が銀行員の対応をする役目だった。その時、母はトイレかお風呂場に隠れ、父はいつも家にいなかった。自分の都合が悪くなると、父は蒸発し、帰ってこないことがよくあった。
現実逃避のため母は「朝起き会」という宗教団体にのめり込んで家のお金をつぎ込んでしまっていて、仕事よりも宗教の頒布活動に熱中していた。
そのため、いつもお金がなく、祖父が呆れていた。
この頃から、家庭内に自分の居場所がないような孤独感を切実に感じるようになっていった。
中学校時代
祖父が亡くなり、小学校から中学校へ上がり、環境が変わったためか、またもや精神的に不安定になり、クラスの男子生徒たち全員から、ばい菌扱いされ、ほうきで殴られたり、机を蹴飛ばされるなどの激しいいじめを受けるようになる。女子生徒たちからもつまはじきにされる。いじめのため一時期登校拒否になり、成績は下がる一方だった。
見知らぬ上級生たちやヤンキーたちからも、「おまえ生意気なんや!」と突然殴られたり、石を投げられていた。幼馴染たちからも、見下されているような気がしており、心を開いて話せる友人はあまりいなかった。そのため、3年間ずっとクラスからは浮いた存在だった。
現実逃避でマンガにのめり込み、絵ばかり描いている空想癖の激しい子供であった。
高校時代
中学時代のいじめの経験から、男子生徒たちと一緒に勉強したくなかったので、女子校に進学する。環境を変え、手に職をつけたかったので、衛生看護科に入学。看護の授業が思いのほかおもしろく、楽しかったため、中学校の頃とはガラリと変わり、成績がトップクラスになり、常に成績は上位の優等生と言われるようになる。特に解剖学と心理学に関心を示すようになっていく。
私立の高校で、両親は学費が払えなかったため、奨学金をもらい、勉強と部活とアルバイトに明け暮れる日々だった。友達ともあまり遊ぶことがなかった。
その結果、当時付き合っていた彼氏ともすぐに別れてしまう。
成績が下がると奨学金が取り消されてしまうため、ひたすら勉強とアルバイトの生活だったが、合間に趣味で町の手話サークルに通い、高校の3年間、手話を習って勉強し、卒業する頃には手話で会話ができるようになっていた。
高校卒業後、上京。
卒業と同時に准看護師の資格を取り、慈恵看護専門学校の夜学へ通うため、慈恵医大青戸病院に就職する。しかし、東京になかなかなじめず、自分を見失っていた。創価学会という宗教まがいの団体の口車に乗せられて騙されたこともあった。
家庭の事情で資金も貯められず、奨学金をもらっていたにもかかわらず、成績を2単位落としたため、退学を余儀なくされる。
その後、吉祥寺の個人経営している救急病院に再就職する。
常勤だったが、日勤で出勤することがほとんどなく、夜勤に明け暮れ、心身ともにボロボロな時期であった。だが、おかげで看護の基礎も叩き込まれ、看護の仕事に楽しさと生きがいを感じるようになっていた。
ストレスから疲労とうつ状態になったこと、職場内のいじめがひどかったことから、いじめと虐待の心理について、研究し始めるようになる。
22才で結婚。
同じ病院に勤務している医療ソーシャルワーカーだった夫と結婚する。
結婚後に、夫が江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜公の重鎮だった梅澤孫太郎の子孫であることを知らされるが、時代が古すぎてどうでも良かったので、夫と二人でのんびり暮らしながら、趣味で旅行ばかりしていた。特に北海道の道東へはよく旅行に行っていた。
夫が「梅澤家は自分の代でもう終わりにしたいから」という理由で子供は作らなかった。
体調を崩しやすく、勤務先はよく変わっていた。
自己を癒すために、ストレスを緩和するカウンセリングやモチベーションを上げるためのコーチングを独学で勉強するようになる。
「名探偵コナン」というアニメの人気の影響で趣味で、シャーロック・ホームズや名探偵ポアロなどの推理小説の研究も始め、これがきっかけでイギリス文学やボタニカルアート、カリグラフィーに関心を持つようになる。
2010年2月、夫が亡くなり香川県に帰る。
2009年11月に夫が膵臓癌で亡くなり、揉めに揉めた末に香川県へ帰ることになる。
仕事のストレスと夫が癌になったショックから統合失調症になっており、病院勤務は難しかったため、電気屋で事務員のアルバイトを始める。この当時から、起業に向けて必要そうな勉強を片っ端から始めるようになる。
ストレス緩和のセラピー、車の免許取得、薬膳、マクロビオティック、心理学、コピーライティングなどなど、暇さえあれば何でも勉強していた。
ただ、すべてを忘れてはいないが、精神薬の影響で香川県に戻ってからの記憶が時々飛んで消えてしまっていることがある。
職場の人たちなどから、用事で男性と仕事の話をしているだけで、夫が亡くなっているからという理由で、気があるんだ、男を捕まえようとしている、不倫しているに違いない、など不当な嫌がらせや噂話、誹謗中傷を受け、あまりにしつこかったため、ストレスからノイローゼ状態になり、ますますストレス緩和のセラピーとカウンセリングを本格的に勉強して技術を身につけた。
だが、もともと体が丈夫ではなかったため、相変わらず体調を崩し、よく寝込んでおり、仕事は1年持てば良い方だった。
のちに看護師の仕事に戻るが、不当な嫌がらせは、やはりどこに行っても続き、開業もしたため、退職する。
開業し、現在にいたる。
世界的コーチングトレーナーである、ティム&クリスハルボム夫妻のセミナーに通い、プロフェッショナル認定コーチの資格を取得。
2015年1月、、念願のセラピスト、コーチングトレーナーとして開業する。
インターネットを中心に集客を行っている。
いじめ・心理的虐待のセラピー以外にも、メンタルブロックを外してストレス緩和をする方法、サイコサイバネティクスを用いたカウンセリング、コミュニケーションスキル、リーダーシップスキル、ダイナミック・スピン・リリースのテクニックを教えている。
休日はうさぎ1羽、猫2匹とのんびり遊んで暮らしている。
「100億稼ぐ体重50㎏キープの美しいのほほん資産家」になるため、奮闘中。